童謡

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童謡

童謡(どうよう)とは、大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲のこと。学校教育用に創作された唱歌や、自然発生的に作られたわらべ歌とは異なる。

古くは子供の歌といえば、いわゆるわらべ歌であった。明治期に西洋より近代音楽が紹介されると、学校教育用に唱歌(文部省唱歌)と呼ばれる多くの歌が作られた。これらは徳育・情操教育を目的に、主に文語体で書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを歌ったものである。

1918年(大正7年)7月、鈴木三重吉は児童雑誌『赤い鳥』を創刊。元々童謡には曲(旋律)は付いていなかったが、この『赤い鳥』の11月号に西条八十の童謡誌として掲載され、翌年5月号に成田為三作曲による楽譜が掲載された『かなりや』が童謡の嚆矢となった。これまでの難解な唱歌や俗悪な歌謡曲ではない、真に子供のための歌、子供の心を歌った歌、子供に押し付けるのではなく、子供に自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という鈴木三重吉の考えは多くの同調者を集め、童謡普及運動あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となった。

『赤い鳥』の後を追って、斎藤佐次郎の『金の船』など多くの児童文学雑誌が出版され、最盛期には数十種に及んだ。中でも『赤い鳥』の北原白秋と山田耕筰、『金の船』(後『金の星』と改題)の野口雨情と本居長世などが多くの名曲を手がけ、童謡の黄金時代を築いた。北原白秋・野口雨情は、『赤い鳥』から『童話』へ移った西条八十と共に三大詩人と呼ばれた。

邦楽の分野においてはこれを「童曲」と呼んだ。たとえば『さくらさくら』は幕末に子供用に作られた箏の手ほどき曲で古くからあった。大正時代にはまだピアノよりも箏の方が一般家庭に普及していた事情もあって、葛原しげる(作詞)宮城道雄(作曲)コンビによる「童曲」は、曲の付いた童謡としては、童謡の第1号といわれる前述の『かなりや』よりも早かった。宮城は『ワンワンニャオニャオ』『チョコレート』『夜の大工さん』など「童曲」、弾き歌い曲を多数作曲している。洋楽による童謡運動の大きな影響で、これ以降も久本玄智『椿の蕾』、津田青寛『鶯姫』などの作品が出された。これらも当時、それなりの人気があったとされるが、洋楽による童謡運動の歴史的意義があまりに大きいため、現在一般にはほとんど知られていない。

童謡. (2007, 9月 19). Wikipedia, . Retrieved 12:44, 9月 19, 2007 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%A5%E8%AC%A1&oldid=14948332.